スポンサー広告 |
ミヒャエル・エンデの世界は果てしなく続く命をテーマにしている。
ファンタジーというカテゴリーでしか描くことができない現実を見据えている…。
世の常識に立ち向かう勇気を永遠のテーマとして繰り返してきたエンデ。
恐れることが
支配されるということ。
その恐れとは
死を想起させるさまざまなことだ。
死はいずれ誰にも必ず訪れるもの。
でも、死ぬことの先に怖い世界がなかったら、命は肉体を離れても続くのだとしたら、それは自由に今の人生をも解放する。
18才で旅立ちを選んだ子の母に捧げます。
淋しくて悲しくて涙は流れる。
未分類 | trackback(0) | comment(0) |
自分を知ることはとても難しい。
人の話も知りたいことを選択的に聞いてしまうのも人間。
選択的に見たいものを見るのも人間だ。
自分を客観的に知るということはどんなにか困難なことだろう。
いやなものばかり気になり、イヤな人ばかりと出会うというのも
選択的な自分のクセに気づく手がかりになる。
違和感を感じることは自分にも内包されている。
社会の動向を耳にすればため息もでる。
選択の結果だと思えば自分の責任も感じる。
この流れの中でいつもいつも気づかされるのは外側を見るよりも
内側に戻ろうということだった。
今、生かされているこの一瞬に集中して生きるしかない。
目の前のことを心をこめて。
出来る努力といえば、これしかないのだと感じている。
そんな自分が選択し続ける先に未来と言う今がやってくるのだ!
外側の世界を照らしたいと願う自分なのだから
自分の内側をまず照らそう。
からだころころ | trackback(0) | comment(0) |
みたくてみたくて本当に観たくて。
なのに顔を背けながら観ていました。
素晴らしい映画です。
そしてナタリー・ポートマンの完璧さ。
人間を苦しめる最大の要因は自分に求めてしまう完全さだ。
完全なる自己イメージは物心ついた幼少にはじまるのだろう。
こうすれば愛されるという雛型をすり込むことを世間では社会性というのだ。
しかしながら、芸術はその対極にあり、自己の解放に直面する。
この作品をサイコホラーととらえるよりも、自己の解放へと立ち向かった女性の飛翔のプロセスであると私は感じた。
そうして主人公がまさに表裏一体の自己を統合する瞬間に立ち会えたことで私自身も救われた思いになれた。
至福の笑みとともに身を投げる白鳥。
自分の限界を超え可能性だけを信じた幻想世界。現実は幻想であり、幻想が現実となる。内なる世界から、
抑圧から、
解放された者だけが
ステージで喝采を浴び、そして天に帰る。
からだころころ | trackback(0) | comment(0) |

2010 9 23 秋分点の満月を木曽御嶽山で迎えました。
関東地方は雷雨
御嶽山でも、雨、風、雷。
一歩一歩かみしめるように、感謝の思いで登りました。
祖父が愛した御嶽山にようやく来ることができ、整えられた登山道に支えてもらうことの感謝に雨も雷も気にならない…不思議な感覚です。
溢れて流れくる川の飛沫に轟音、目の前の今の中にただ在る感覚…。
ひとりきりでありながら、全く不安を感じない…。
胸から溢れ出し、
沸き立つエネルギー。
言葉にすると消えてしまうもどかしさが、
今も続いています。
夕焼けと雲海とおつきさまに囲まれるイメージを確信して、
すべてを宇宙にゆだねただけの、
人様からみたらゆるい山行きだったのです。
そこで繰り広げられたパノラマは
私そのものが融けてゆく世界でした。
エネルギーの流れは整いました。
ありがとう〜。
流れのままに。
地球 | trackback(0) | comment(2) |
窓の形に切り取った四角い空を眺めながら
雲が消えてゆくのを待っていた
ペルセウス流星群の最大は明け方前
まだ、時間はたっぷりとある
西の空はクリアになり
東は?と
起き出して見て見るもグレーな空だ
新月まもない上に月は隠れている絶好の日であるというのに
電信柱の街路灯が
黄金色に光を放つ
ここではなぁ〜と
ごろりと横になってしばらくする
木星のすぐ脇から
ひとしずくが
滴り落ちた
流れた!
そう叫んだつもりが
声にならない
思う言葉が声にでない
本当は言いたいのに
なぜ?
私の声はでないのだろう…
見えていたと思った景色ははかない夢であった
届かない声は
雲の影に消えた
地球 | trackback(0) | comment(0) |
